鳥巻メモ

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メモ


吉本隆明さんの深い洞察。大切なことが詰まっている気がする。
メモしておこう。


知識について関与せず生き死にした市井の無数の人物よりも、知識に関与し、
記述の歴史に登場したものは価値があり、またなみはずれて関与したものは、
なみはずれて価値あるものであると幻想することも、人間にとって必然であ
るといえる。しかし、この種の認識はあくまでも幻想の領域に属している。
現実の領域へとはせくだるとき、じつはこういった判断がなりたたないこと
がすぐわかる。市井の片隅に生き死にした人物のほうが、判断の蓄積や、生
涯にであった累積について、けっして単純でもなければ劣っているわけでは
ない。


人間は生まれたとき、すでにある特定の条件におかれている。この条件は、
個人の生涯のおわりまでつきまとう。だから結果としてかれが何々であった、
ということにほんとうは意味がない。意味があるのは、何々であった、ある
いは何々になった、ということの根底によこたわっている普遍性である。
その普遍性を、かれがどれだけ自覚的にとりだしたか、である。記述したか
どうかは問題ではないのだ。



労働は労働者にとって<疎外>であるため、それはかれの本質の外に、幸福
を感ぜずに不幸を感じ、消耗を感じ、したがって労働の外にあるとき(享楽・
休息・生活等)自己自身のうちにあると感じ、労働の内では自己自身の外で
あると感じる。(中略)労働が労働者にとってかれの外にあるとすれば、そ
れはかれ以外のたれかに属していなければならない。人間は、じぶんがじぶ
ん自身でないと感じているときは、かならず他人に従属しているのとおなじ
ように。