鳥巻メモ

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漱石と儒教


ロンドンでの英文学の研究や、
英語の教壇に立っていたこともあり、
漱石には英語のイメージがあるが、


じつは、漱石は英語より漢語を好んだ感があり、
大岡信氏によれば、創作された漢詩は、
一級品の出来が多いと言う。


漱石の漢詩好きは、
十代に通った二松舎と関係があるだろう。


二松舍に学んだのだから、
漱石の著作に「論語」や「孟子」という文字を見かけても
良さそうだが、僕の読んだ限りでは、その記憶はない。


ただ、意識的に読めば、その視点を感じることは出来る。
例えば「道草」の中には、健三(漱石)から妻への
次のような一節がある。


(この言葉の背景には、漱石の、
 公金を着服した義父への腹立たしさがある)



「御前が形式張るというのはね。人間の内部はどうでも、
外部へ出たところだけを捉まえさえすれば、それでその
人間が、すぐに片付けられるものと思っているからさ。
丁度御前の御父さんが法律家だもんだから、証拠さえな
ければ文句を付けられる因縁がないと考えているような
もので…」(新潮社文庫版 P257)