鶴川で取材を終えた後、
一般公開されている白洲邸に行ったことがある。
旧来の境界線に位置することから、
白洲次郎は、武蔵と相模の頭文字をとり、
武相荘と読んでいたそうだ。
現在は、細君の方がポピュラーなので、
白洲邸と言えば、白洲正子のイメージが強いかも知れない。
一番印象深いのは、正子氏の書斎である。
うまく言えないけれど、とにかく、とても感じが良い。
農家を改築したお宅で、間取りは、
ふすまを外せば、大きなスペースになる、
いわゆる、「田の字型」住宅であったと、
記憶している。
(田の、口は外壁、十は四方のふすまを表している)
住宅に人を合わせるのではなく、
人に住宅を合わせる云々という
正子氏の文章をどこかで読んだ記憶がある。