人は生まれながら善人であるか、
あるいは悪人であるか、
中国では、古代から、議論されていたようだ。
荀子は、人は一人だけでは禽獣より劣るので、
礼を元にした社会を作らざるを得ないと、たしか言っていたと思う。
わが国の儒学者・荻生徂徠は、
どちらかと言えば、性悪説だろうか。
個人の心持ちに頼るのではなく、
制度で世の中をまとめるよう、唱えていたようである。
こちらは仏教の話になるが、親鸞は、
人は状況によって、悪人にも善人にもなるという。
心の動をみれば、むしろ悪人の方が自然である、という解釈もあり、
これが、門徒たちに誤解を招いた。これ誰の解説だったけ?