新聞広告


新聞は、とっていない。


だが、時間がある時に、
読、朝、日経、毎日を、
図書館でまとめて読むようにしている。


日々、ネットでニュースを見ているが、
新聞の代わりになるのは、いまのところ、ないと思う。


新聞広告は、あまり読まない。


コピーライターの梶祐介さんは、
著書の中で、販売促進と広告を
意識的に線引きをして、


前者を、商品を売るためのもの(チラシなど)
後者を、長い期間、消費者とのコミットメントを
深めるもの(新聞のブランド広告など)とし、
その有効性を強調した。


移り気なライトユーザー数は7割、
5年、10年と、その商品あるいは企業と付き合う
ヘビーユーザー数は3割だが、


金額ベースとなると、まったく逆になり、
ライトユーザーが3割、ヘビーユーザーが7割となる。


また新規顧客を開拓するより、
付き合いのある顧客との関係を続けた方が、
広告費も労力も、かからないことが、その根拠だったと思う。


このへんは、とても刺激的な意見だったけれど、
ただ、現状を見ると、新聞上のブランド広告の影響力は、
ないと思う。


梶さんは新聞広告がとても好きだったと思うし、


著書が書かれた時期、
ネットが、モノの売り方を、ここまで変容させるとは、
思われなかったんじゃないかなぁ。

HTML5


ネット上の動画には、
フラッシュがよく使われている。


しかし、当方のネット環境では、
利用することができない。


ひとつは、パソコンのOSが古すぎて、
現状のフラッシュには対応しきれないから。


もうひとつ、iPad
フラッシュに対応していないためだ。


日経ネットによると、
iPadiPhoneの米アップル社は、
昨年に、HTML5を採用することを宣言。
両機種には、フラッシュを対応させない方針を
打ち出している。


HTML5を使ったウェッブサイトなら、
フラッシュをのように、いちいちダウンロードしなくてすむ。


また同記事によると、
HTML5でウェッブサイト等を一度作ってしまえば、


パソコンでも、スマートフォンでも、
タブレットでも、スマーテレビでも、
一様にコンテンツを提供することができるらしい。

スマートテレビとスマートグリッド


元グーグル日本法人の社長の記事を
ネットで読んでいて、
面白いと思ったことが、2つあった。


ひとつは、スマートテレビについて。


グーグルは、来夏までに、
店頭のすべてのテレビを、
Androidを積んだスマートテレビにする。
(そういう意気込みのようである)


スマートグリッドについて(正確な表現は覚えていないけれど)
「電気のあるところすべてにITがある状態」という言い方を
同氏はされていた。

東京モーターショー


東京モーターショーに行く。


各メーカの展示ステージに、
ちゃんとストーリィがあり、おもしろかった。
他の展示会と比べると、かなり、ときめくものがあった。


以下の写真は、ホンダのコンセプトカー。


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EVの充電


家庭でEV(電気自動車)に充電する場合、
一晩かかるららしい。


ただし、これは満タンにする場合で、
ガソリン車と同様に、実際は、
少なくなった分を継ぎ足していくだろうから、
そこまで時間を要しない。


またスタンド等で急速充電する場合は、
30分で電気が満タンになる。


非接触充電という技術も開発されていて、
たとえば、EVを走行中、道路から充電することも可能。
これなら、走っているうちに充電できるのだ。
意外な発想だわぁ。


一方、満タンに充電したEVから、
家庭の2日分の電気がまかなえるという。

白洲邸


鶴川で取材を終えた後、
一般公開されている白洲邸に行ったことがある。


旧来の境界線に位置することから、
白洲次郎は、武蔵と相模の頭文字をとり、
武相荘と読んでいたそうだ。


現在は、細君の方がポピュラーなので、
白洲邸と言えば、白洲正子のイメージが強いかも知れない。


一番印象深いのは、正子氏の書斎である。
うまく言えないけれど、とにかく、とても感じが良い。


農家を改築したお宅で、間取りは、
ふすまを外せば、大きなスペースになる、


いわゆる、「田の字型」住宅であったと、
記憶している。


(田の、口は外壁、十は四方のふすまを表している)


住宅に人を合わせるのではなく、
人に住宅を合わせる云々という
正子氏の文章をどこかで読んだ記憶がある。

「プリンシプルのない日本」


「プリンプルのない日本」の前書きは、
名文だと思う。


誰が書いたのか、はっきり分からないが、
本著の最後に、著者と、河上徹太郎
今日出海が対談しているところから察すると、
両氏のうち、どちらかが、書いたに違いない。


本書を読んで、まずは、
60年ほど前も、現在も、政治も官僚も経済界も、
なーんにも、変わってないことが分かり、
だいぶ、イヤになった。


どういうところが、ということは、
メンドクサイので書かないけれど。


GHQによる日本国憲法の草案は、
法律家ではなく、
シロウト筋による理想が盛り込まれていること、


さらに、その翻訳は、
白洲次郎と、他2名のスタッフにより
短時間でなされたこと、


当初の平和憲法の精神は、
ソ連による日本の赤化を怖れたアメリカに、
ゆがめられたこと等々、


興味深い内容の一冊であった。