思フコトヲ貴ブ


【再掲】


小林秀雄の「本居宣長」によると、
宣長は、平安時代の言語を雅言(みやびごと)として読み、
奈良時代以前の言語を古語(いにしえごと)として読んだという。


ただ、稗田阿礼の口伝を、安麿が筆録にして表した古事記は、
古語の「ふり」や「いきほひ」が際立っていないとし、


宣長は、万葉集をはじめ同時代の文献に照らして、
精密な調査をし、さらに直覚と想像力により、
その心映えを感じ取っていったという。


このことは、論語を読むに当たり、
道を理とせず、「思フコトヲ貴ブ」とした
荻生徂徠の考え方に影響を受けたとされる。




物の周りを取りかこむ観察の観点を、どんなに増やしても、
従ってこれに因る分析的な言語が、どんなに精しくなっても、
習熟の末、おのずから自得する者の安心は得られない。
(同書下巻 P48)


さて、本書には、こういう言葉がある。
興味深いので、こちらも引用しておこう。




文義の心得がたきところを、はじめより、一々に解せんとしては、とどこほりて、
すすまぬことあれば、聞こえぬところは、まづそのままにして、過ぎすぞよき、
殊に世の難き事にしたるふしぶしを、まづしらんとするは、いといとわろし、


ただよく聞こえたる所に、心をつけて、深く味わうべき也、
こはよく聞こえたる事也と思ひて、なおざりに見過ごせば、
すべてこまかなる意味もしられず、又おほく心得たがひの有りて、
いつまでも、其誤りをえさとらざる事有也
(「うひやまぶみ」より孫引き/同書70P)

鈴木大拙のコトバ




人生の根本的問題は、
主客を分かつものであってはならぬ。


問いは知性的に起こされるのであるが、
答えは体験的でなくてはならぬ。


知性の性質として、
知性上、たとえ知性の解決が得られたとしえも、
それはいつもの知性の上に留まり、
おのれ自身の存在を揺り動かすものとはなり得ない。


知性はただ周囲を空回りし、
かつつねに、二者対立の形で物事を取り上げる。


ある意味では、実在に関する問いは、
問われる以前にすでに答えられるとも言える。


しかし、このことは、知性の次元では理解されないだろう。
それは知性を超えたところの消息だからである。




人間尊重は、実際、人間自重から始まるのです。
人は自重することから、人間尊重になるのです。
人間尊重、人間尊重というのは、なにも、
むやみに他を尊重するのではなくて、
自分が自らを重んじることから
進み出さなけりゃならぬと、
こういうように自分は考えますね。
だからして、そのものが、そのもの自身を重んずる。
すなわち、自由性、自主性、
創造性を発揮しえいくように
手始めなくてはならぬ。

自然教育園で観察できる自然植生

自然植物園内の看板に書いてあることを、そのまま記す。


林の移り変わり


この林は、1950年頃には、まだ若い松林でした。


しかし、自然教育園になって、
下刈りをやめると、ミズキ、イイギリなどの落葉樹や、
スダジイタブノキなどに常用樹がマツ林の下に育って来ました。


1963年頃には、
マツは下から育って来た落葉樹に光をうばわれ
枯れ始めました。


今ではその落葉樹も、
成長が遅かった常緑樹が高くなるにつれて、
下枝などが枯れ始めています。


やがて、長い年月の間には、
スタジイなどの常緑樹林へと変わっていきます。


このように、林が時間とともに
変化していくことを遷移といい、


遷移が進んで変化の少ない安定した林を
極相林といいます。




PORTUS


PHSを、
既存の機種からPORTUSに変えた。


PORTUSは、通常、通話用に使うが、
機器ヨコのスイッチをスライドさせれば、
無線LANルーターに切り変わる。

雪は水をためている

山脈の雪は、冬のあいだ、
水を貯めていてくれるそうだ。


もし、雪が降らなければ、
水はそのまま海に流れてしまう。