鳥巻メモ

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「境は日比谷焼き討ち事件」説


母方の曾祖父は、
日露戦争で戦死したそうである。


坂の上の雲」でも描写されている
奉天会戦で、病死したらしい。


で、急にハナシが変わるが、
故・吉村昭の「三陸海岸対津波」が
売れているそうだ。


同氏の著作は、
「ポーツマツの旗」くらいしか読んでいない。


これは、もう定説だと思うが、
日露戦争の指導者たちは、
日本の戦力を分相応にとらえていて、
戦争を始める前から引き際を考えていたし、


講和の全権を任されていた小村寿太郎も、
妥当な線で、交渉をまとめた。


しかし、マスコミ、一部有識者、
そして世論も、日本の実力を過大評価していたため、
ポーツマスでの講和を不服に思った群衆は、
新聞社や、都内の多数の交番を焼き討ちした。


見たままの写実の大切さを説いた正岡子規や、
アメリカとスペインの観戦武官となり、
「写実的」な米西開戦レポートを書いた秋山真之
が活躍した明治から、


いわゆる、日比谷焼き討ち事件を境に、日本は、
いわれもない実力を振り回す精神主義に傾斜していき、
第二次世界大戦の敗戦を迎えるわけサ。