中世の文章語


上代の単純な社会では、
「めしは?」「食べた」のように、
ただ生活の用を足せば良かった。


こういう社会の中では、
文章は生まれない。


しかし、京都には遊民貴族がおり、
その中から「源氏物語」をはじめとする
王朝文学が生まれた。


庶民から成り上がった鎌倉時代には、
平家物語」が現れ、多くの人の情感に訴える
文章語が編み出された。


同じ時期、語らずに、読むだけの文章も成立した。
慈円の「愚管抄」である。


「叙事要素が濃厚ながら一個の概念をくりかえし述べ、
読者の知的な部分の反応を期待している点で、十三世紀の
文章日本語の一粗型値といっていい」


慈円が死ぬころ幼児だった道元も、文章日本語を手作りした。


「その大著『正法眼蔵』は、当時の日本語で形而上的分野を
表現し切った最初の巨大な文章遺産といっていいが、
言いまわしで強引に手作りでやってのけたところがあり、
後世の私どもにしばしば意味が通じにくい」


「この国のかたち」(言語についての感想(二)(司馬遼太郎)より要約