畳による水防

江戸時代の経世家・海保青陵は、
2度ほど、越後を旅している。


著書「稽古談」に、
その時の様子が書かれている。


その中に、水防の記述がある。
以下、抄訳。


……


寛政5年(1793年)、
私は、越後国蒲原県(新潟県三条市)を見聞した。


蒲原は村上候の知行所であるが、
一ノ木戸には、上州高崎候の御加増高二万石の地がある。


五十嵐川は東側から流れ、
一の木戸の前を通り、信濃川に合流している。


信濃川は大河で水量も多いので、
五十嵐川と信濃川の水流は、激しくぶつかり合い、水位も高い。


通常より、4〜5メートルも上がれば、水位は土手の高さまで上昇し、
さらに、土手は水を吸って柔らかくなると、


水は、まるで手桶の腹の隙間から、走り出すように出る。


土手が切れたら、村の被害は甚大である。
村中の騒ぎは火災どころではない。


村民たちは、土手の頂きを支点とし、
その両サイドに、畳に、木や石の重しを付けて結んで、
洪水を防ぐという。


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