領主など、やってられない!


江戸初期、大名や領主は、経済力があり、
商人にとって信用があったようである。


しかし、寛永11年(1634)の大名妻子在府制、
同12年(1635)の参勤交代制による藩の過大な出費や、


社会の落ち着きに伴う贅沢により、
領主財政は急速に膨らみ続けた。


明暦の大火(1657)による諸大名江戸家式の焼失も、
追い打ちをかけたという。


そのため、権力を笠にして、
商人からの借金を踏み倒す大名、領主が増え、
(大名貸し、という)


以前まで、信用による無担保・無利子の貸し付けも、
一般と同様、担保と金利の差し出しが求められるようになる。


藩の担保と言えば、年貢であり、
例えば、今秋の稲刈り時に入る予定の年貢を担保にし、借り入れ、


返済が不可能な場合は、極端な例では、
商人が年貢を管理する状況にまでなったらしい。


結局、専売制で成功した一部の藩を除く、
ほとんどの藩は、膨大の借金を抱え、


明治政府が、
各藩の持っていた債務を一括して肩代わりするまで、
問題の解消は得られなかった。


一方、話は急に飛ぶが、16〜17世紀のヨーロッパでは、
農民の実質賃金が上がりすぎて、領主側への取り分がゼロになったという。


要は、時代の象徴であった領主の、
お金のやりくりが大変になったことと、


封建社会の終焉は、
十分に関係があったんじゃないかなぁ。。。