「稽古談」


江戸時代の経世家たちの名前は、
意外に知られていない。


強いて、あげれば、荻生徂徠くらいか。


文化・文政には、
本多利明と、海保青陵がいた。


両者とも重商主義を唱えているが、
前者は、海外との貿易、
後者は、藩単位の取引の重要性を説き、


また前者は、考え方のもとに数理があり、
後者は、「周礼」と「老子」をベースにしながら、
自分の目で確かめるために全国各地を旅し、著述した。


代表作「稽古談」によると、
海保青稜は、越後の蒲原という場所を2度ほど訪れている。


1度目は、寛永4年〜5年(1792〜93)、
2度目は、文化元年(1804)である。


最初の訪問時、女性の髪は結び髪であった。
衣類は腰までの高さがあって、細い帯をしめて、
額には手ぬぐいを鉢巻きにしている。
多くは裸足で、糞を背負って往来した。
蝦夷人を画にかいたようであった。


13年後の再訪では、女性の様子が様変わりしていた。
女性はみな髪を結って(この頃の流行は、島田かな)、
緋縮緬の板締めの帯をして、たいへん麗しく装っていた。


青陵が両日泊まった宿主は言う。
「米のやすいときは貧乏でありそうなものなのに、
米が高くなるにしがって、貧乏になるというのは、どういうわけか」


青陵いわく、
「米が高くなって、金の入ることが多くなって、
結構なものを買い取ったのが、貧乏の始まりである。
むかしのように、質素な家、衣服、食事をすれば、今でも富むのである。
物価が高くなるのは、生活程度が向上するからである」


(以上、「山片蟠桃 海保青陵」(日本の名著23/中央公論より)


うん。その通りだな。
加えて、私感を述べるなら、時代が下るにつれ、
モノやサービスの数が多くなっていくわけで。


たとえば、20年前は、インターネットも、携帯もなかった。
僕の幼いころは、まだテレビも電話も、なかったんじゃないかなぁ。
電話は用事のあるとき、向かいの料理屋さんに、
借りにいっていたらしい(田舎だったからか?)。
その点は、まだ、トトロの世界のようだったのだ。



(海保青陵、新潟へ)
http://www.proppo.net//keikodan.html