明治の指導者たちは、日本の実力を知っていて、
日露戦争開戦の時には、既に講和の方法を検討していたという。
実際に、戦況が優位になったところでアメリカに仲介してもらい、
ポーツマスでの講和会議となる。
全権公使は、小村寿太郎であり、その内容は、
吉村昭の記録小説「ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎」に詳しい。
印象的な場面がある。
シアトルに着いた小村全権団は、
ポーツマスに行くために、大陸を鉄道で横断する。
途中、停車駅で、粗末な服を着た労働者たちが、
日の丸の描かれている布をつけた太い枝を立てている。
小村が尋ねると、
彼らは白人に雇われた木こりで、
駅から30キロ離れた森林で働いているという。
小村全権団が列車で通過する話を耳にし、
夜通し旗をかついで歩き、駅で待っていたのだ。
木こりたちは、そう言ったあと、
姿勢を正し、深くおじぎをする。
顔をあげた彼らたちの頬には涙が流れている。
汽車が動きだす。
小村をはじめ、随行員たちは、しきりに眼をしばたたせていた。