幕末は、おなかがペコペコであった


天保14年(1843年)の徳川幕府の歳出は、
144万5000両。


それに対して、文久 3年(1863 年)の歳出は、
500万6000両である。


20年で、
(500÷144≒)約3.5倍に膨れ上がったことになる。


では、歳出に対して、それだけ歳入も増えたのか?


ええ、増えました。


ただ、文久3年の年貢高は、歳入の18%。
しかも、これは米価高騰の名目の数字なので、
実質の数字は、もっと低い。


歳入の中で、圧倒的な比率を占めたのが、
貨幣の改鋳による利益。68.7%である。


幕末の実力者・小栗上野介が、金に、
海外経由の洋銀を混ぜた貨幣を鋳造し、
大量に発行させたのである。


減価した貨幣を流通させたので、
当然、インフレが起きた。


インフレの便利なメルクマールとして、米価がある。


大飢饉のあった天保7年(1837)でさえ、100文で、
白米4合を変えたのに、


慶応2年(1865)には、
1合2勺しか買えなかったのである。


1日、茶碗2杯くらいしか食べれないので、
血気盛んな幕末の青年たちは、
お腹がペコペコな状態だったんだなぁ。。。


以上「日本人は「幕末」から何を学ぶか」

野口武彦)より、メモ代わりに、とりまきがリライトする。

数字は、本稿からの「天保期の性格」「文久期の幕府の財政」(大口勇二郎)の孫引き。