明治維新の「近因」と「遠因」


きのうの、水素が化けて、
「アルコールならば酔っぱらう」
「水になれば酔いを覚ます」という例、


福沢諭吉も、水素と現象の
同様の例をあげているわけだが、


ただ、こちらは
遠因と近因という言葉が使われている。


幕末から明治維新の状況が一変した
解説は、その一例である。


幕末のイデオロギーは、尊王攘夷であった。


この成り行きから言えば、当然、
維新後も攘夷が尊重され、


さらに幕府が倒れれば済むのに、
合わせて大名や士族も排斥されてしまった。


なぜか?


それは、尊王攘夷は近因で、
遠因は国内一般の智力にあったとし、



攘夷論はただ革命の嚆矢にて、いわゆる事の近因なるのみ。
 一般の智力は初より赴く所を異にし、その目的は復古にあらず、また
 攘夷にもあらず、復古攘夷の説を先鋒に用いて旧来の門閥専制を征服
 したるなり。故にこの事を起したる者は王室にあらず、この仇とする所
 の者は幕府にあらず、智力と専制との戦争にして、この戦を企たる源因 
 は国内一般の知力なり。」(「文明論之概略」P108)

この遠因が、明治維新後、近因と合わさって、ますます盛んになり、
福沢諭吉は、そんなことは言っていないけれど)
日露戦争前後の、日本の「坂の上の雲」を迎えた。まぁ、そういうことだ。



「この遠因なる者は、開港以来西欧文明の説を引て援兵と為し、その勢
 次第に強盛に赴くといえども、智戦の兵端を開くには先鋒なかるべから
ず、ここに近因と合して戦場に向い、革命の一挙を終て凱旋したるなり。」
(同書)