小林秀雄と岡潔の対談集「人間の建設」に、
無明という言葉が出てくる。
たとえば、本書の中で、
ピカソやドストエフスキーは無明の達人である、
と書かれている。
(「死の家の記録」の読後感で言えば、
ドスト氏は、人に善良さを求めすぎているんだね)
ここを読んで、
ははぁ、無明というのは、
人間の業のようなものかな、と
エラそうに思ってみたけれど、
一方で、良寛さんは、
冬の雨の音を何度もじっと聞いていると、
雨を聞く良さが分かってくると、言っていて。
これは、無明を押さえなければ分からないと、
岡先生は、おっしゃっている。
やはり、業とは違う、、、
いや、業の裏返しのような、、、