翻訳について


翻訳というのは、ありがたいものである。


ほんらい、読むことができない本が読めるし、
日本語に訳してあるので、文章を効率的に読むことができる。


ただ、潜在的に、服の上から背中を掻くような感じがあるんだなぁ。
せめて、好きな短編小説くらいは、原文で読んでみたいと思い、
昨年から、レイモンド・カーヴァーの短編を、ぼちぼち読んでいる。


ファンであること、そのほかに、
数枚程度の短編小説であることや、シンプルな単語が使われていることが、
カーヴァーを選んだ理由である。


ただ、シンプルなかんじ、というのクセもので、
(この習慣は、朝の30分以内の習慣としているわけだが)
せいぜい、1つか2つのセンテンスしか進めない。


ところで、村上春樹と、
ポール・オースターなどの訳で知られる柴田元幸
共書「翻訳夜話」では、


同じ短編を、両人それぞれが訳したものが掲載されている。
そのひとつが、カーヴァーの「collectors」である。


比べてみると、柴田先生の方が原文の言葉遣いに忠実で、
村上春樹は「えぃ、やぁ」でやっているところが、多々、見受けられる。
(亀の歩みのようでも、時間をかけると、こういうこと分かってくるんだなぁ。。。)


僕は、村上春樹ファンであるし、
「言葉をそのまま訳さなければ、いかん!」とは思っていない…
というか、そんなナマイキを言う以前のレベルなわけだが、


ただ、2つの収穫はあったナ。


ひとつは、カーヴァーといえば、村上春樹訳を金科玉条のようにしてきた
当方のドグマが、さらさら、溶けはじめたこと、


もうひとつは、柴田訳の本を、もっと読んでみたいということだ。