疑うこと


目に見えないものに比べ、目に見えるものは取材しやすい。
それだけ、目に見えるものは、確かなものだと思いがちなのだが、
一方で、目に見えるものこそ、疑うべきだといった西欧の哲学者もいたように思う。


ところで、鈴木大拙の著書には、否定から入る東洋的な見方が紹介されている。
たとえば「山は山ではない。だから山は山である」と。
ボクは、この感覚が何となく分かるのだが、説明はできない。
鈴木先生は、こう、おっしゃっている。


「しかしこの頭の混乱というのは、もともと、われわれ自身から持ち出したことなので、
 当初には何ら混乱はなかったのである。いわゆる平地に波乱を起こしたのは、
 その罪誰にあるのでもなくして、われわれ自身にあるのである」