もともと、とりまき事務所は、
カタツムリのような有限会社なので、
もしも英語で問い合わせる必要があったら、
自分でやるしかないと、必要以上に心配し、一人ごちている。
しゃべらなくとも、せめて、
メールで問い合わせができるレベルになりたいと思い、
現在、カタツムリのように、のろのろと、その計画を実行に移している。
で、どのようにしているかと言うと、
レイモンド・カーヴァーを英文で読むことから、はじめている。
(時間がなくて1日2行くらいのときもあるが、
とにかく、毎日読む習慣をつけているんだワ)
もともと、カーヴァーは好きな作家で、
翻訳された短編をすべて読んでいる唯一の作家だし、
日本語で読んだ印象として、
シンプルな言葉が使われていると思ったからだ。
カーヴァーを読むに当たっては、
本居宣長が、初心者に古事記の読み方をアドバイスした
「うひ山ふみ」が参考になったし、また励みにもなっている。
文義の心得がたきところを、はじめより、一々に解せんとしては、 とゞこほりて、すゝまぬことあれば、聞こえぬところは、まづそ のまゝにて過すぞよき。殊に世に難き事にしたるふしぶしを、ま づしらんとするは、いといとわろし、ただよく聞こえたる所に、 心をつけて、深く味ぶべき也。こはよく聞えたる事也と思ひて、 なほざりに見過せば、すべてこまかなる意味もしられず、又おほ く心得たがひ有て、いつまでも其誤をえさとらざる事有也。 |
博識とかいひて、随分ひろく見るも、よろしきことなれども、さ ては緊要の書を見ることの、おのづからおろそかになる物なれば、 あながちに廣きをよきことゝのみもすべからず。 |
學びようは、いかようにてもよかるべく、さのみかゝはるまじき こと也。いかほど學びかたよくとも怠りてつとめざれば、功なし。 又人々の才と不才とによりて、其功いたく異なれども、才不才は、 生まれつきたることなれば、力に及びがたし、されども大抵は、 不才なる人といえども、おこたらずつとめだすにすれば、それだ けの功は、有ル物也。又晩学の人も、つとめはげめば、思いの外 功をなすことあり。又暇のなき人も。思ひの他、いとま多き人よ りも、功をなすもの也。 |