そもそも「論語」は為政者寄りの学問なのだが、
渋沢栄一は、明治政府から下野して、「論語」をお手本に実業を行った。
(大蔵官僚から政治家に転身し、実践した方が、矛盾がないのに、、、)
なぜか…? 時間のあるときに、
この視点で、いわゆる渋沢論語を読んでみたいと思う。
ちなみに、丸山真男の『「文明論之概略」を読む』には、
荻生徂徠の次のような文が紹介されている。
「満世界の人ことごとく人民の民の父母となり給ふ助け候役人に候」
(P62)
いささか、理想・理念的だが、
このリクツなら、「論語」が為政者だけの学問ではない、
というふうにならないか。