宣長は、古事記の書かれた太古の時代、
「彼等の間では、直かな、豊かな表現は、当然、その日常会話にも
及んでいた」(P216)と考え、
「更に進んで、そういう生気のある言語表現をわが物としていた
人々が、実生活の上で、これに即した、生きた智慧を身に付けて
いないわけがない」(同ページ)とした。
伝説の肉体は、極めて傷き易く、少しでも分析的説明が加えられれば、
堪えられず、これに化せられ歪むのだ。
宣長が尊重したのは、そういう伝説の姿の敏捷性であり、それを慎重に迎え、
彼の所謂「上ツ代の正実(まこと)」が、内から光が差してくるように、
現れて来るのを、忍耐強く待ったのであった」(P205)
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以上、「本居宣長」(小林秀雄)より