小林秀雄の「本居宣長」によると、
宣長は、平安時代の言語を雅言(みやびごと)として読み、
奈良時代以前の言語を古語(いにしえごと)として読んだという。
ただ、稗田阿礼の口伝を、安麿が筆録にして表した古事記は、
古語の「ふり」や「いきほひ」が際立っていないとし、
宣長は、万葉集をはじめ同時代の文献に照らして、
精密な調査をし、さらに直覚と想像力により、
その心映えを感じ取っていったという。
このことは、論語を読むに当たり、
道を理とせず、「思フコトヲ貴ブ」とした
荻生徂徠の考え方に影響を受けたとされる。
物の周りを取りかこむ観察の観点を、どんなに増やしても、 従ってこれに因る分析的な言語が、どんなに精しくなっても、 習熟の末、おのずから自得する者の安心は得られない。 (同書下巻 P48) |
さて、本書には、こういう言葉がある。
興味深いので、こちらも引用しておこう。
文義の心得がたきところを、はじめより、一々に解せんとしては、とどこほりて、 すすまぬことあれば、聞こえぬところは、まづそのままにして、過ぎすぞよき、 殊に世の難き事にしたるふしぶしを、まづしらんとするは、いといとわろし、 ただよく聞こえたる所に、心をつけて、深く味わうべき也、 |