読み方について


備忘録として。



成る程宣長は学者で、詩人でないのだし、学説の形を取っている彼の
思想を理解しようとすれば、これを一応解体し、抽象化してみる事も
必要だろう。彼の学説の中に含まれた様々な見解と、これを廻る当時
の、或は過去の様々な見解との間の異同を調べてみるという事は、宣
長という人間に近附くのに有効な手段であり、方法であるには違いな
いだろうが、いつの間にか、方法の使用者を惑わす。言わば、方法が
いつの間にか、これを操る人の精神を占領する。占領して、この思想
家についての明瞭正確な意識と化して居座る
本居宣長 上 新潮社 P41/小林秀雄




万葉を読んには、今の点本を以て、意をば求めずして、五行(たび)
よむべし、其時、大既訓例も語例も、前後に相照されて、おのづか
ら覚ゆべし。さて後に、意を大かたに吟味する事一行(たび)して、
其後、活本に今本を以て、字の異を傍書し置て、無点にて読べし。
初はいと心得がたく、又はおもひの外に、先訓を思ひ出られて、よ
まるる事有べし。極めてよまれぬ所どころをば、又点本を見るべし。
実によくよみけりとおもわるるも、其時に多かるべし。かくする事
数篇に及び後、古事記以下和名妙までの古書を、何となく見るべし。
古事記日本紀或は式の祝詞ノ部、代々の宣命の文などを見て、
又万葉の無点本を取て見ば、独大半明らなるべし。(中略)さて、
その後ぞ、案をめぐらすに、おもひの外の所に、定説を得るものな
り。或る時は、点本はかつて見んもうるさくなるべし。其心を得る
人も、傍訓にめうつりして、心づくべき所も、よみ過さるる故に、
後には訓あるは害なり。同P219〜220 『万葉集通釈井釈例』(賀
茂真淵)より孫引




この現れを、宣長は「ふり」と言う。古学する者にとって、古事の
眼目は、眼には手ぶりになって見え、耳には口ぶりになって聞こえ
る、その「ふり」である。(中略)史料の提供する証言にしても、
証拠にしても、この認識を働かす為に使用される道具に過ぎず、
古事記伝」に見られるのは、それらが、宣長の言いなりに使われ
ている有様である。(中略)それなら、総じて生きられた過去を知
るとは、現在の己の生き方を知ることに外なるまい。それは、人間
の多様性を、どこまで己に内部に再生して、これを味う事が出来る
か、その一つ一つについて、自分の能力を試してみるということだ
ろう。同P378〜380